人生ってツイている、ツイていないってあると思います。そんな運任せなこと
何を言っているんだっていう人もいると思います。ただ私は人生ここまで生きてきて
ツイている現象と、ツイていない現象両方経験してきたからこそ、敢えて言わせて
もらうと、運ってあると思っています。では、どうやれば運がつくのでしょうか。
私の生きてきた中でツイていないときというのは、常に心の中で不平不満をつぶやいていて
何かが起こったときは、常に周りのせい、環境のせい、自分じゃない誰かのせいにして
生きてきていた時だと、今ならわかります。そんなときって、連鎖するんです。負の
スパイラルというか。そんな時に一番使わない言葉があるんです。それが、「ありがとう」
です。そもそも「ありがとう」の反対語って何だと思います?「ばかやろう?」「いやだ?」
いろいろ考えられると思いますが、私は「当たり前」だと思っています。そもそも「ありがとう」
は「有り難い」からきていると言われています。つまり、めったに起こらないありえないような
幸運が起こっているからこそ「有り難い」「ありがとう」ということになります。そんな
「ありがとう」が言えないときって「そんなの当たり前」って思っている気持ちに支配されている
ときなんです。御飯が出てくるのは当たり前。健康なのも当たり前。生きているのも当たり前。
けれど、よくよく考えてみるとそんな「当たり前」なんてものこの世にはないということが、
人は失ってから気づきます。風邪をひいたときに健康のありがたみが分かるし、人に
傷つけられたときに、人のやさしさに気づきます。つまり「当たり前」こそ「ありがとう」
の対極にあるということに気づきます。そんなときって、決まって運が悪い、ツイていない
現象が起こります。逆にツイている、運が良いときの心の状態って常に「感謝」しているとき
なのです。何が起こっても、「これは何か意味があることだろうし、感謝しよう!」とか
「自分に仕事がたくさんあるなんて、期待されているんだ!感謝しよ!」なんて思っている
時は、どんどん運がついて、自分でも予想もしないようなラッキーが起こります。
「感謝します!」って言葉が多くなってくると、どんどん良いことが増えていくのです。
あとあと調べるとこれは「予祝(よしゅく)」と呼ばれることだったと知りました。「予祝」
の代表例は「花見」の文化だそうです。「花見」はそもそも春にあらかじめコメの豊作を
祈って、豊作になったかのように先に祝ってしまおうというところから始まったという
話があります。つまり、先に良い言葉、良い習慣を行ってしまうことで、その現象を
引き寄せるということだそうです。だからこそ「感謝します」の言葉の後には
「感謝するような出来事」が起こっていたのだなと今は思っています。当時は
何もわけわからず使っていましたが、やはり何事にも「素直に受け入れ」
「意味のある出来事」だと自分で受け入れて行動していくことが大切なのではないかと
思います。今後も皆さんが幸せなラッキーな、ツイている生活を送るためには
大切な考え方なのではないかと思います。是非参考に!