私は子供のころ、周りに比べて体の成長が遅く、声変わりもなかなか起こりませんでした。そのため、合唱活動などでは、男性であるにもかかわらず、ソプラノパートを歌っていた覚えがあります。そんな時に、掛けられることばで一番多かったのが、「かわいそう!」です。色々な人から「かわいそう」と気を使ってもらったのですが、当時の私は「え!俺ってかわいそうなの?」って疑問に思っていた覚えがあります。当時の私が何も考えていなかったこともあるのでしょうが、特にそれに関して恥ずかしいとか、嫌だなぁなんて思っていなかったような気がします。むしろ、嬉々として高い音を女性よりも張り切って出していたような気がします。今の私ならどう考えるのだろうとふと思うのですが、おそらく今でも自分を「かわいそう」とは思わないだろうなと考えています。なぜならば、人は自分と違ったり、自分の身の周りにある「あたりまえ」と思っていたりするものと違うもの、足りないものに対して「かわいそう」と思ってしまいます。しかし、よくよく考えると、みんな違った環境、成育歴、体格、性格であるため、みんな「かわいそう」になるし、自分も「かわいそう」になってしまいます。だからこそ、今は他と違うところや、自分に足りないところを逆に武器にしたり、補ったりして自分の特徴にしているような気がします。幼少期からの赤面症や、人前で大きな声を出せないことも、それを克服してむしろ真逆の仕事についています。
最近のSNS等での投稿や、流行を見ているとみんなと同じでなければ「かわいそう」という雰囲気に違和感を覚えることがあります。今後も自分自身に対して、また周りに対して「かわいそう」と思う瞬間もやってくるかもしれません。そんな時にわざわざそれを言う必要もなく、むしろ自分に関しては、それを跳ね返して成長する道を選んでいってほしいと思っています。ぜひ参考に!