代わりにやろか?

日々の生活

私がまだ教員として年数が若かった頃に、先輩から言われた一言で考え方が変わったことがあります。どんな一言かというと、「俺が代わりにやろうか?」です。どんな状況でこの言葉を伝えられたかというと、自分自身の担当するクラスがなかなかうまくいかずに、職員室で我慢できずに愚痴を言ってしまった時のことです。そんな状況ですから、私は「○○がわるい」「○○のせいで」などと愚痴を言っていた覚えがあります。そんなときに先輩からその一言を言われた瞬間に、「はっ」と我に返ったのです。実際何を思ったかというと、「この先輩ならクラスを変えられるだろう」「自分はうまくいかないのをどうして他人や、環境のせいにしていたのだろう」です。つまり、「まだまだ自分にできる何かがあるのに、それをせずに諦めかけていた」ということに気づいたのです。さらに、どうしてその先輩ならば上手にクラスをまとめられるかということも考えました。端的に言うとその先輩の作り出すクラスの「空気感」が素晴らしいのではないかと。普段みんなも「空気を読む」という言葉を使うかもしれません。しかし、その「空気」とは少し違い、その先輩が発する言葉、態度、行動によって作り上げられるクラスの規範意識や、雰囲気、行事に対するモチベーションはとても真似できるものではなかったのを覚えています。だからこそ、その先輩のクラスは毎年のように行事で盛り上がり、大成功を収めていました。

長々と私の若い頃の経験を書かせてもらいましたが、何を言いたいかというと、もし自分自身が何かうまくいかないことが起こったときに、「別の誰か参考になる人だったらと考えると解決までの糸口が見つかったりすること」。また、上手にできる人・集団は、全体を動かすための「空気感」を持っているということです。これは人間が成長するときにもとても大切な気がします。みんながこれから何が「正解」かわからない。自分がどのような大人になりたいのか迷うときも来ると思います。そんなときも、この世の中には参考になるような素敵な大人がたくさんいます。その人を観察してみてください。そうすると必ず自分にも取り入れられるようなものに気づくはずです。そうして様々な経験をしていく中で自分の目指す大人に近づいていってほしいと思います。参考に!