定期テストなどの際に各教科で提出物があると思います。その提出物を評価しているときにいつも思うことがあります。それは、このワークをやった人は、とりあえず提出のためにやった人だな~ということです。どういうことかというと、そもそも提出物は評価のために出すのではなく、自分自身の理解を深めるため、内容をトレーニングするために努力するものです。そうして身についた力がテストで点として現れてくるのではないかと思います。しかし、どうしても課題となると、やっつけ作業といいますか、とりあえずやった感で出す人がいます。答えを写したのかもしれませんし、何も考えずにとりあえず埋めたのかもしれません。もちろん出さないよりはましだと思うのですが、なにか寂しい気持ちになることがあります。逆に、この人は本当に学んできているな~とか、やりこんできているな~というワークに出逢うこともあります。そのワークのどれもが「最低限のさらにプラスαを取り組んでいる」ことが共通点です。そんなに詳しく解説をしなくてもいいものを自分なりの工夫を入れながら記入していたり、途中過程をさらに工夫して書いていたりと、とても時間がかかったと思われるものです。もちろん何でもかんでも時間をかければいいと言うわけではありませんが、事実そういった人の方が点数が伸びる傾向にあります。
こんな経験をしていて今思うことは、これは勉強だけでなく生活、もっと言うと人生でもそうではないかと思うのです。「最低限以上やらないと損ではないか」と。どういうことかというと、何事も社会に出たら、最低限やることは当たり前なのです。人から認められて、「あなたにお願いしたい」「君がいてくれたおかげで」と言われるような人は、当たり前のように最低限の向こう側にいます。息をするようにプラスαの努力をしているのです。その積み重ねが結果となり、人から認められ、成幸につながっているのではないかと思います。だからこそ、最低限しかやっていない人は、むしろ損なのではないかと。どうせやるならばプラスαをやった方が得をする。むしろプラスα分だけが自分の強みになっていくのではないかと思います。
今後も様々なやるべきこと、やりたいこと、目の前にやってくることがあると思います。そのときに常に考えてほしいことは「最低限のちょっと向こう側まで取り組む」ことです。是非参考にしてほしいと思います。