今みんなが当たり前に生活している「普通」の日常は、一体どれだけの人の努力に支えられていると思いますか?例えば今自分が口にしている食料から、生活している場所に関しても、そのどれもが目には見えない誰かの努力の結晶によって生み出されているはずです。例えば家庭で考えてみても、何気なく毎日家族が団らんする「普通」の毎日のために、親がどれだけの忍耐と努力が必要なのか、私自身は親になって気づきました。「普通」に毎日学校に子供を送り出すのに親がどんな気持ちで送り出しているのか、帰ってきてから子供たちが一体どんな経験をしてきたのか、そのどれもが当たり前でないことに親になって初めて気づかされたことが多かったように感じます。
話は変わりますが、生まれたばかりのチンパンジーは生後数年間は人間の子供よりもはるかに知能が優れ、考える力も運動能力もあるそうです。ところが五歳を超えるあたりから人間の知能の方がチンパンジーをはるかに凌駕して、それ以降その差は広がる一方だそう。その知能が逆転する転機は、人間だけが持つある能力を獲得することと無関係ではないと分析されています。その能力が、「僕があの人なら…」と相手の立場に立って物事を考えてみるという能力。チンパンジーは歳を重ねても種としてそういうことはできないそうです。何をここまで書いてきたというと、人間という種には「相手の立場に立って考える」という能力が備わっているということ。それが人間という種を人間たらしめている一つの要因になっているということ。だからこそ私たちは、その能力を使い社会を発展させてきた。新しい経験をするということは、新しい誰かの立場を知るということです。成長するということはあらゆる立場の思いを知るということではないかと思います。
この時期は様々な自分に関わっている人たちの思いが伝わってくるはずです。様々な人たちに支えられていることに気づくはずです。その思いに答えられるように、またいつか返せるように、目の前の課題に向き合っていってほしいと思います。参考に!