私たちは普段生活していると、どうしても細かいやらなければならないもの、通称「雑用」と呼ばれるものに埋め尽くされてしまうことがあります。特に、自分で何かやらなければならない大切なものがあったときに「雑用」に邪魔をされて、やるべきことができなかった経験をしたことがあるのではないでしょうか。そんな時はどうしてもイライラしてしまい、「雑用」さえなければと思ってしまいます。しかし、ここで考えてほしいのは、「雑用」というものは本当に「雑用」なのかということです。例えば、みんなが家でゲームを友達とオンラインで遊ぶ約束したとしましょう。しかし、数学の宿題があり、家のお手伝いもあり、友達と約束した時間に間に合わなかったとき、どうしてもイライラしてしまいがちです。しかし、よくよく考えてみると数学の宿題も、家の手伝いも、その人にとっては「雑用」ではないのです。数学の宿題などは、それをやっつけ作業でなく一生懸命念を込めて取り組んだとしましょう。そうすると内容の習得率も上がり、次の授業でさらにレベルアップできるかもしれません。家のお手伝いも、将来的には自分自身ですべてしなければならないものです。つまり、「雑用」にしていたのは自分の考え方だということです。宿題を「雑用」と思う人もいれば、「自分にとって意味のあるもの」ととらえる人もいます。家の手伝いも「日頃お世話になっている家族のために、一員として当たり前にやるべき仕事」ととらえる人もいます。私自身はこの世の中に「雑用」などと呼ばれる用事など存在しないと思います。どんな仕事も、どんな職業も必要だから存在しているのです。だれかに求められなければ、この世に仕事は存在しないのです。
だからこそ、今後さまざまな、めんどくさい事象がみんなにも降りかかってくるかもしれません。しかし、それを「雑用」ととらえるか「自分にとって必要なもの」ととらえるかで、その人の成長は変わってくるのではないかと思っています。ぜひ、自分自身の人生を無駄にしないためにも「雑用」でなく「必要」と思える人になっていってほしいと思います。