正解なんかないんかぁ

毎日の話

在の世界は情報化社会が進んで、ネットの中での意見や情報が溢れる時代になってきました。この傾向は今後も進んでいくのではないかと思っています。そんな中、よく取り沙汰されるのが、ネットでの誹謗中傷です。誰かを傷つけたり、その意見は間違っていると言ったりするような現象が、度々ニュースなどにも取り上げられます。これは最近増えてきたというより、SNS全盛時代に入り、目に見える形になってきたことが原因で、昔から言葉の上ではあったことではないかと思います。そんな時に毎回思うことがあります。それは、そもそも「正解が存在している問題なのか」ということです。正解のないものに、自分が正しいと主張しても意味が無いのではないかと思うのです。正解があれば「○○の文献に載っていました」とか、「○○の研究成果から正しいと言えます」と伝えてあげればいいと思います。そうでないならば、「あなたの意見はそうなのですね。しかし、私の意見は○○です。」と伝えるだけで十分ではないかと思うのです。間違っても自分の意見を押しつけるようなことはしない方が賢明だと思います。違う人間だから、正解のないものに関しては意見が違っていて当たり前ではないかと思うのです。

学校生活では基本的に、正解が用意された問題を扱うことが多かったと思います。数学の解が存在するように。しかし、それも時代の変化により常識と呼ばれる「ものさし」が変わってくるのも当たり前だと思います。さらにその時代の変化が加速してきている現代なら、なおさらです。だからこそ学校では「探究学習」と呼ばれる答えのない課題に対して、情報を収集したり、分析したりして、自分で判断する学習法が始まっています。そして、大切なのは、導き出された答えにも正解がないということです。100人いれば、100人の解決法がある。これからは、そんな答えのない時代に、自分なりの答えを導き出して実行していくことが大切なのではないかと思います。 これからの中学校生活では、答えがあるものに対して取り組むことと、答えがないものを自分なりに考えて行動する事を、区別していくことが大切になってくると思います。その中で自分自身のよりよい選択を考えていって欲しいと思います。是非参考に!