自分で得たものが

毎日の話

みんなも一回は考えたことがあるかもしれません。「川はいったいどこから始まったのか」普段私たちが目にする川は、絶え間なく上流から流れてきて、途切れることなく下流へと流れていきます。それはやがて幾重もの川の流れと合流して大河となり、海へと注がれます。しかし、その川の源流は山の森から湧き出た一滴の滴から始まっているのは、みんなも周知のことと思います。そのはじめの滴の一滴は不純物もなく、とても澄み切ったミネラル満点な水のはずです。その上流の水を求め、人は山を登り、湧き水を汲みにいきます。それは、その源流の水にこそ価値があるからです。何の話をしているかというと、これは「情報」も同じではないかということです。普段私たちが目にする「情報」は、川に例えると、河口近くの様々なものが含まれた情報ではないかと思うのです。もちろんそれは悪い意味だけではないのですが、どの情報が真実で、どの情報を信じるべきなのかというのは、最終的には自分の目で見て、判断することになるのではないかと思うのです。「そんなこと言ったって全てを自分自身で確認することはできない」という意見もあると思います。しかし、みんなに伝えたいことは「情報」とはそのくらい判断するのが難しいということです。さらに現代はSNSを含めて様々な人が情報を発信する時代になってきました。そんなあふれかえるほどの情報の中で、価値があるものとは一体何かと言われれば、結論は川で言う源流、つまり情報源、もっというと自分自身で得たものだけになるのではないかと思うのです。最近はVRやARの技術が発展し、自分がその場にいなくても、あたかも体験したかのような経験をすることができます。しかし、もちろんメリットもあるのですが、仮想現実では体験できないような、その場でなければ経験できない、臨場感や匂い、空気感はやはり本物には叶わないと思うのです。 

最近の状況により、なかなか実際に体験できなかったり、ビデオ会議に置き代わってきたりしたものもあります。ビデオ会議にはビデオ会議のよさがあります。しかし、実際の体験からしか得られないものもあります。だからこそ、みんなには自分自身で実際に体験すること、行動することを大切にしていって欲しいと思います。コロナ禍の中学校でも様々な体験ができます。そんな体験を是非一つ一つ大切にして、それを自分の経験として積み上げ、自分自身の大切な財産にしていってほしいと思います。是非参考に!