よく「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」という言葉を聞きます。確かに自分自身を変え、未来を切り開いていくといった意味では、とても参考になる言葉で、これまで私自身も心の中の軸においてきた言葉です。しかし、最近考え方が成長し、「過去」でさえも変えられるのではないかと思い始めています。どういうことかというと、「過去」の起こった出来事は確かに変えられないのですが、その出来事を今後どのように捉えるのかで、「過去」も変わるのではないかと思うようになっています。どういうことかというと、「過去」のミスはその時は確かに辛く、苦い経験なのですが、後々よく考えてみたり、その経験のおかげでという出来事が起こったりしたときに、辛い「過去」は良き思い出になるのではないかと思うようになってきたのです。これは過去の偉人の言葉からも学べます。例えば、喜劇王チャップリンはこんな言葉を残しています。「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」これはミクロ視点では悲劇でもマクロ視点でみると価値ある経験だと気づくことを言っているのではないかと思います。また、弘法大師空海の言葉も参考になります。「教法は本(もと)より差(たが)うことなし。牛と蛇との飲水(おんすい)の如し。 牛は飲めば蘇乳(そにゅう)となり、蛇は飲めば毒莿(どくし)となる」(『宗秘論』)どういう意味かというと、「同じ水を飲んでも牛はそれを栄養のある乳にし、蛇はそれを毒にしてしまう。」という意味です。つまり、同じ経験や出来事も、それを価値あるものにするか、毒にしてしまうのかは、捉え方・考え方次第であるということを教えてくれているのではないかと思います。
生きているとなかなか自分の思い通りにいかなかったことや、目標が達成できないことも人生にはあると思います。しかし、そんな出来事も無駄だと思ってしまうと全てに意味が無くなってしまいます。それさえも自分自身を成長させてくれる素材だった、その経験が自分の血となり肉となって自分自身を作ってくれていると考えると自分に取っての全ての出来事が価値あることに気づくのではないかと思うのです。