質問があります。みんなは「勉強ができる」=「仕事ができる」だと思いますか?急に何を言い出すんだと思う人もいると思いますが、率直にどう思いますか?当たり前じゃないか。勉強ができる人が、いい高校に行って、いい大学に行って、いい就職先に就いて、高給料を得て幸せになるに決まってるじゃないかと思ってませんか。一概にこれは間違えとは思いませんが、もしそうだとすると、東大を出た人が、皆いい給料をもらって、いい仕事をしていることになります。しかし、メディア等で聞いたことがあると思いますが、そうでない例もあるようです。つまり、「勉強できる」=「仕事ができる」ではないこともあるということです。じゃあ勉強なんてしなくてもいいんだと言っている訳ではありません。そもそも「勉強」で得られるものだけでは「仕事」を全てできるようになる訳ではないと私は思っています。「勉強」で得られるものの多くは「論理的思考力」と「知識の習得力」です。簡単に言うと数学の答えを導き出す道筋を考える力と、英単語等を覚える力がメインになっていると思います。もちろん最近の学習でアクティブラーニングや、主体的・対話的・深い学びを目指していろいろな学習が始まってきます。逆に「仕事」で必要な能力の中に「直感的判断力」と「知恵の習得力」というものがあります。簡単に言うと、これまでの経験を通して学んできた判断力と、工夫を凝らして知恵を使って、自分オリジナルなアイデアを出して、正解のない問題に取り組んでいくというものです。つまり、何を言いたいかというと、「仕事」に役立つこの能力をどこでみんなに経験してほしいかというと、この瀬音祭などの行事や普段の生活で学んで身につけていってほしいと考えています。行事には正解はありません。こうしなければならないなんて決まりもありません。自分の柔軟な発想を提案していいのです。自分の表現を思いっきり出していいのです。この経験をしてきた人と、そうでない人は将来発揮できるパフォーマンスは変わってくるのではないかと思います。誰もが大人になると誰かの前でプレゼンしたり、提案したりしなければならなくなります。むしろそれができないと仕事になりません。想像してみてください。商品を説明できない営業マンが営業できますか?プレゼンの場で、恥ずかしいからといって声が小さく何を言っているかわからない人の意見を会社が取り入れると思いますか?誰もがいずれ大人になって仕事をするということは、同様の場面が出てくるはずです。そんな時に、学生時代に多様な学びを経験してきた人とそうでない人の差は大きいのではないかと思います。だからこそ、こういった行事や、日常生活の友達との関わりの中からさまざまなものを学んでほしいと思っています。参考に!
勉強が出来る=仕事が出来る?
