想像してください。今、目の前に水の入ったガラスのコップがあります。そこに石を投げ入れたらどうなりますか?もちろん石の大きさによりますが、水は飛び散り、ガラスも割れるかもしれません。では、そのコップが洗面器に変わったらどうですか?洗面器は割れないかもしれませんが、水は飛び散ります。では、それが池になったらどうなりますか?水は飛び散りますが、波紋が広がるかもしれません。それが海だったら?波紋はできるでしょうが、広大な海にとって、それは影響がほぼないといったレベルかもしれません。これは何の話かというと、「器の大きさ」の話です。起こった出来事は、望まない石が投げ込まれたということに変わりがありません。違うのは「器の大きさ」だけです。私たちはよく「あの人は器が大きい人だ」とか、「器の大きい人になりたい」などといった「器の大きさ」を人間の大きさとして捉えることがあります。そんな時に「器」を大きくしたいと願うのですが、どうやったら「人間の器」は大きくなるのでしょう。それは、物事の捉え方ではないかと思っています。どういうことかというと、私も子育てをしていく中でなるべく子供に使わない言葉があります。それは、「かわいそうに」です。この言葉を言われた子供は、自分はかわいそうな人間で、周りのせいで自分がこうなったと考えがちです。だからこそ「被害者意識」をもって、自分自身では変わることをしていきません。だからこそ、そんな時は常に「いい経験したなぁ」って言うようにしています。もちろん親として苦しい瞬間もありますが、子供のためを思えば、今後生きていく中で、自分の思い通りにいかないことや、うまくいかなかったことを自分の経験にして、「自分の器」を大きくしていってほしいと願っています。いつまでも親が子供を守ってはいられません。いつかは自分の力で、「自分の器」に物事の経験をためていって、力強く生きていってほしいと願っています。だからこそ、この物事の捉え方を、「いい経験ができた」と捉えられるかが大切になってきます。参考に!
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