あいさつを大切と思う心が大切

毎日の話

前回の投稿で、「至誠を貫く」という話をさせて戴きました。

普段何気なく行っているもの。その中でも私は「あいさつ」を大切にしています。

このデジタル最先端のAIが活躍する社会で「あいさつ」?と思う人もいるかもしれません。

「あいさつ」なんてオンラインの中では関係ないでしょ?リモートワークでそんなにな大切?

そう思われる方もいるかもしれません。コロナで大きく社会は変わろうとしています。

これまで変化に10年はかかると言われていた教育界のギガスクール構想もとてつもないスピードで

加速して、皆さんの教育が変わろうとしています。そんな今だからこそ私はあえて「あいさつ」

大切にしてほしいと思っています。

そもそも私は教育に携わっていく中で、長年疑問に思っていることがありました。それは

人間は成長するとともにほとんどのことが年月とともにスキルアップし成長していきます。

例えば算数の掛け算ができるようになれば、中学校で方程式、連立方程式と理解が深み

どんどんその能力は伸びていきます。運動もそうです。最初はボールを触ることがままならなかった

生徒も、時間とともにボールフィーリングが上達し、思うがままに扱えるようになります。

つまり、人間は時間とともにほとんどのものが成長していくのが普通だと思います。しかし、

「あいさつ」だけは全く違うのです。小さい頃、例えば保育園の頃、小学校低学年の頃の子供の

「あいさつ」は実に元気で聞いていて思わず笑みが出てくるほどのものです。しかしながら小学校高学

年、中学校も学年を上がるにつれだんだん「あいさつ」ができないようになるのです。気になって

「あいさつ」の話をするとその時だけは大きく、しっかりするようになりますが、また同じくできない

ようになる。一体何が起こっているのだろうと長年悩んできました。しかし、最近考えるようになった

ことがあります。それは私のこれまでの指導は「やり方」を教えてきたんだろうなということです。

つまり、声の大きさ・礼の角度、足を揃えてなど。いくらその指導をしてもすぐにできなくなります。

大切なのは、その「あいさつ」をその人が大切だと思わないと「あいさつ」は成長しないということ

です。つまり心・精神・考え方の「あり方」を伝えないと意味がないんだと感じるようになりました。

また、クラスにおいて起こる現象にも共通点があることに気づいてきました。それは、あいさつが

できる集団は、同じ指導、同じスキルを伝えても成長が早い。端的にいうと勉強もできるように

なります。逆に「あいさつ」ひとつまともにできない集団は、学力の成長が遅い傾向がありました。

これも長年不思議に思ってきました。これは今ではこう考えるようになってきています。

「あいさつ」とはまずは自分を表現する一番簡単な、しかし一番大切な表現方法であるということ。

また、「あいさつ」は相手を認めていることを伝える手段であること。自分の心を開く手法である

ということです。だからこそ、「あいさつ」ができる集団はクラスにチームワークが生まれます

サボっている人がいれば、「何しているんだ」「がんばろうぜ」という声かけが増えます。逆に

「あいさつ」ができない集団は、誰か手を抜いていてもその人を認めてないので、ほっときます。

しかし、そんな集団の授業は決して良いものにはなりません。

だからこそ、「あいさつ」ひとつで様々なことに影響があることを私は改めて感じています。

「あいさつ」ひとつで自分自身の能力が、成長が変わってくるのです。大袈裟にいうと

「あいさつ」ひとつ大切と思うかそうでないかで、人生が変わってくるのです。

だからこそ、「あいさつ」って大切な「至誠」なのだと考えています。

「あいさつ」はまず自分から。相手の目を見てTPOに適した快いあいさつを。

それだけで周りが変わります。周りの人の態度が変わっていきます。

誰かが助けてくれるようになります。自分の周りの環境が変わり出します。

騙されたと思って、3ヶ月間ほどチャレンジしてみてください。その効果は

想像を超えるものが返ってくると思います。是非参考に!